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コラム

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風評被害
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乾燥機待ちの間にブログでも更新しようと思います。
乾燥機ってどうしてあんなに時間がかかるんでしょう。
どこかのメーカーが30分位で終了する
画期的な乾燥機を作ってくれないものかしら。
日本の技術力なら!
…難しいんでしょうか。

さてオランダにいても聞こえてくる言葉「風評被害」ですが。
なんか今年イチオシの一人歩き言葉ですかね。
昔は「自己責任」なんて言葉が流行った時もありましたが。
まあいいんですけど。

風評被害の心配は、
私は比較的するタイプです。
何しろ過剰報道や日本人の集団暗示に恐怖を覚える人間なので。
でも今回はちょっと違います。

いろんな人が福島産の野菜を食べてもらうためにいろいろ頑張っているようです。
それ自体は良いことだと思うんですね、
もし本当にそれらに危険がないならば。
私は、
もし日本に住んでいたら、
多分気にしません。
こういうことには結構図太いです。
大丈夫と伝えられている限りに於いては
あまり神経質にならずに冷静に対応したいタイプです。
特に自分の行動によって誰かしら困る人が出る場合は
そういった結果的にとはいえ人を追い詰める行動に手を貸してまで
必要以上に自分の安全を確保したいとは思いません。

でもね、
先日友人と話していて思ったのです。
彼女は子供を産んだばかりで、
しかも第一子で、
子育てに精一杯なんです。
で、元々性格的に図太くはないタイプです。
彼女曰く
「自分も助けたいとは思うけれど、
 助けるなら野菜を食べるという形でなく別の形で応援したい。
 やはり他の選択肢があれば福島産は選ばない」
これを聞いて私は、
ああ、これはしょうがないな、
と思いました。
しょうがないというのは、
実際に彼女が福島産野菜を食べることに恐怖を覚えるのであれば、
それを選ばないことを誰も非難できない、
ということです。
すごく正直な意見でまっすぐに発せられた言葉なので、
基本姿勢が私とは異なるにも関わらず
素直に聞いて納得することができました。

実際に大丈夫なのであれば
こういう恐怖が必要以上に広がるのはやはり問題です。
でもポイントはそういうところにあるのではないような気がするんですよね。
強いプロパカンダが必要なのかもしれない、
でもあるいは、
人が自分を守ることを最優先するのはしょうがないことなのだから、
やはり友人が言うように、
別の形でのサポートを考えるべきなのかもしれません。
と言いますか正解はないんでしょうから、
恐らく様々な角度から少しずつ積み上げるしかないのでしょう。

難しいですね。
今回は人災も含まれてい(ると言っても良いと思い)ますが、
災害はその時だけにとどまらないから怖いです。

皆頑張ろう。
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月曜なのにコラム書いちゃったよ
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さっき、
無自覚でわかりにくいこと
という田口ランディさんのブログ記事をリツイートしました。
反原発を声高に叫ぶことに何故抵抗感があるのか、
がテーマ。
実は私も抵抗感がある一人。
理由はランディさんとは異なるけれど、
まあこの時期そういう人もいるんだ、
ということで。

私の場合はランディさんのようなイデオロギー的な問題ではなく、
もっと個人的な考え方の問題で、
ただ単に
安易に結論を出したくない
というだけです。

私は昔から魔女狩りのようなことが嫌いなんですね。
こういう表現をするとすごく反発をくらいそうなんですが、
誤解を恐れずに書くと。

私は
多くの人が盲目的にある一つのことを支持する、
という現象に恐怖を覚えるのです。
それにスケープゴートが伴っている時は特に。
人は集団催眠にかかり易いですからね。
特に日本人はそうなんじゃないでしょうか。
ある人が「こうあるべきだ!」と言うとそうであるべきだと思ってしまう。
そしてそれを自分の考えだと信じてしまう。
私は自分がその中に陥ってしまうのが嫌だし、
それによって非難される人・物が必要以上に否定されてしまうのは宜しくない、
だから声を挙げる前に「ちょっと待てよ」と一呼吸置くのは大切なんじゃない?
と考えるわけです。

その時は正しく見えても、
時間が経ってみると「あれ?」ということが
人は往々にしてあるじゃないですか。
ありませんか?
私はよくあります。
だから極力その誤りを犯すまいとしています。

これはあれだな、
集団思想という点に置いては
震災直後の皆頑張ろうムードと同じような感じなんですが、
スケープゴートがあるという点でもっとネガティブ且つシリアスです。

まあ私が声高に反原発を唱えないのは、
ただ単に私の知識不足もあるのですがね。
否定するほど知らない、
という。

最後に、
ここで被害に遭われた方を持ち出すのは筋違いですよ、
とだけ書かせて下さい。

ミニ日本
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Twitterに書こうと思ったんだけど、
そうすると文章がダイレクトにFacebookに表示されるので
人目につきにくい(笑)こちらに書きます。

皆で頑張るのは時に必要だし
それが特に「いいこと」とされていることなら尚更、
協力するべきなのだと思います。
けれど何かひっかかる…、と感じていて、
それが何か今ひとつわからなかったんです。
じっくり考えてみても、
それは人道的にも立派だし
誰かがそういう行動を起こし皆で頑張るのは素晴らしい。
そのことが例え開催者のメンタルケアだったとしても、
何も悪いことはない。
何が不満なんだ? と自分に問いかけること10日間あまり。
会社でヒントが見つかりました。

■ ヒント1
会社に置かれた震災用の募金箱が物の見事にスッカスカ。
何ユーロ入ってたのか不明ですが、
確実に5ユーロ以下ですね。
70人も社員がいるのに。
ヨーロッパ人(だけじゃないけど)は偽善よりも小銭が大事。
因みに私も入れていません。
既に募金はしたし、
明日また別の場所でする予定だし、
今後も定期的にするつもりなので別にここで入れなくても。

■ ヒント2
会社の一人の日本人があるボランティア作業に立場上半ば強制的に参加させられ
仕事に差し障りを来している。
ボランティアって、
強制したらボランティアじゃないでしょうに
(ボランティアは自主的という意味)。

そうそう、で、気づいたのです。
これは日本によくある同調圧力だと。
まあ勝手に感じているだけかもしれませんが。
あまりに私の周囲の日本人の多くが携わっているので
そう感じさせられるものがあるのだと思います。
もちろん地域的に局地的ではあるのですが。
そういう日本的な嫌な部分から離れたくて外国に住んでいるのに、
と思って私は多分なんとなく心から同調できないのでしょう。

ここまで読んで
だから何が?
と思った方がいたらごめんなさい。
それをはっきり書くと差し障りがあるのでぼかしています。

でもこんな弄れた考え方していたら
周りから友達がいなくなっちゃうかもしれません。
今更ですが。
もう少し素直になって時々は気をつけたいです。

わんこの幸せ
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ヨーロッパでは、
と言ってもオランダ以外は何とも言えませんし
南ヨーロッパに至っては寧ろ逆ですが、
犬のしつけが素晴らしくされています。
ええ、そりゃもう。
散歩中他人に近寄るなんてまずありません。
よそ見せず、
きちーんと歩いています。
最初私は「すごいなあー」と単純に思い、
日本の躾はなってないなあ、
なんてことさえ考えていました。

しかし先日知人と話していると。
「犬はどっちが幸せなんだろうね」
と、ふとその知人が言うのです。
躾はあくまで人間基準であって、
もっと自由に感情を表現出来る日本の方が
犬は幸せなんじゃないかなあ、と。

なるほどなるほど。
確かにそうかもしれません。
しかし犬は主人に褒められて喜ぶ動物。
なのでいい子にしているのは
特に抑圧されているわけではなく、
主人に褒められたいがため自主的にしているのかもしれないよ?
と私は答えてその場は別の話題へと移っていきました。

その後ふとその会話を思い出しなんとなく考えていて
私はハタと思い当たったのです。
人に迷惑をかけないことに関しては
絶対ヨーロッパより日本の方が神経質なのに
何故犬の躾は逆なのか。
それはきっと、
背景にそれぞれの世界観があるに違いないのだと。
欧米人の考えでは基本的にこの世の中で人間が一番偉いんです。
神を除き。
なんなら欧米人が、と言ってもいいのですが
まあそういうことを言うと別の話になるのでまあそれは置いておいて、
とにかく人間が一番偉いので、
動物である犬は人に従うべきだと考えているのです。
一方日本は生きとし生けるもの全て同じと考えが根底にあるので、
従えるべきだ! という発想がそんなにないんじゃないでしょうか。

ま、今は変わってきてますけどね。
やはり他人に迷惑をかけないように
きちんと躾をするべきだという考えになってきています。
ま、それはそれでいいとは思いますが。
こんなに世界のボーダーレス・情報共有化が進まなかったら
今でも日本では犬は他人にしっぽを振っていたと思います。

BCCで失礼します
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もういちいちウルサイと思われることを重々承知で書きます。

最近友人・知人からのお知らせメールで
「BCCで失礼します」
という文言をよく見かけます。
私、これが非常に嫌いなんです。
寧ろ一斉送信の場合はBCCじゃない方が失礼だと思うので、
この日本にはよくあるタイプの中身を伴わない形式・常識的な感じが
非常に勘に障るのです。
どこかはかとなく「私は社会常識があるのよ」的な感じも嫌です。
別にBCCであることをわざわざ言わなくてもいいんじゃないかと思うし
「友人・知人の皆様」でいいんじゃないかと思うし
百歩譲って一斉送信が失礼だと思うなら
「このメールは一斉送信しています」だけでいいんじゃないかと。
と言うかBCCでメールが送られてくることを失礼に感じる人自体が
心が狭い若しくは物事の捉え方が歪んでいるのでは。

とか思って調べたらやはり同じことに疑問をいだいている人がいる一方、
メールのマナーとして書くことを推奨しているサイトもあったり、
うむ、これは電車の中の携帯と同じパターンでは、と。
実は私は電車での携帯はマナー違反だと思っていないのです。
みんな電車の中で普通に話すじゃないですか。
何故携帯がいけないのかと。
声が大きくなるとか
人は成立していない会話を聞くと不快に思う傾向にあるとか
聞いたことがありますが、
え? それって制限される理由になるんですか?
というのが私の疑問。
つか勝手に不快に思っているだけじゃね? みたいな。
誰かが「あ、これってマナー違反よね」と言い出したら
マナーがなっていないと言われるのが嫌で
あるいは自分の頭で何も考えずに「ああこれってマナーなんだ」と思い込んで
人を非難し始めるという、
日本人の悪い思考パターンの代表例。
と、同じ匂いがとってもします。

私は日本の神経質なところは一つの個性だと考えていますし
何事も複数の面を持ち合わせているので
この個性も必ずしも悪いことだけではないのですが、
でも、
でも、
なんか自ら息苦しくしているように感じることが多々あり。
自分でやるだけならまだいいのですが
日本人は一端それが常識だと思うと
別の価値観の存在を全く無視して
しない人を非難・迫害する傾向にあるのでね。
もう充分変な習慣を持ち合わせているのだから
これ以上は変な常識を作り出さないようにしませんか、という。
まあそんな話でした。

人知れずささやかに書いてみましたよ。

人のフリ見て我がフリ直せ
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普段の生活で出会う人の中で
私が一番日本語にうるさいのでは、
と思っていましたが
最近上回る人を発見しました。
えー、まあ、あまりはっきりとは書けませんが、
仕事関係の人です。
とっても、細かい方です。
なので基本雑な私とは、
うるささの方向性・理由付けがちょっと異なるのですが。

で、その方が仰っていたところによると、
「こんにちは」は顔を接した時に使う言葉である、
そうなんです。
なのでその方は電話で使うのには違和感を感じるのだそうです。
確かに辞書には
「日中、人と出会った時、または訪問時に使用する挨拶」
と記してあるものが多い、気がします。
それじゃあ電話で使うのは本来の用法としては間違いなのか? を
調べてみたのですが、
それについて言及しているものは
現時点では発見できませんでした。
時間帯に関して考察している文章はいくつか散見されましたが。
まあ大して調べてませんけど。

私が思うのは、
辞書にある「出会った時、訪問時」が
どういった意図で記載されているのか
定かではありませんが、
かつては、
そうだったのではないかということです。
電話やメールなどは
言葉やコミュニケーションの歴史からすると全くの新参者なわけです。
つまりかつては「出会った時」というシチュエーションが
極当然の条件だったのが、
現在ではそぐわなくなってきているのではないか?
ということです。
どうかしら。

その方は現在50代半ばなので
もちろん幼い頃から電話は知っていたとは思うんですけどね、
あまり想像力があるタイプではないので
辞書にそう書いてあるとその言葉をそのままそれが絶対だと考えそうだし、
と推測してみたり。

しかしこれは新しい視点でした。
勉強になりました。

まーでも細かすぎて
今ではその人になんて挨拶したらいいか
はっきり言って分からないのですけどね(笑。
私もそういうことを人に思われたりしないように気をつけねば。

言葉と音
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私、日本語に興味を持っております。
そして言語は楽しいと思っています。
残念ながら記憶力が興味についていけていないので
他言語を話すには苦戦していますが。

水曜日は日本語レッスンがある日です。
そして今日は水曜日。

恐らく語学を学んだ人ならわかると思いますが、
日本人はある種の音の区別が苦手です。
聞くのも、発音するのも。
しかしそれは別に日本人に限ったことではなく、
言語の使用音の違いから発生するものなので
当然逆も起こるわけです。
私が教えているのは主にオランダ人なので、
つまり、
ある種の音はオランダ人には区別が難しい、
ということです。
ただ、日本語の音は多言語に比べ数が少ないため、
日本人が他言語を母国語に持つ人に比べ
聞き取り・発音が苦手なのは事実のようです。
ま、しょうがないですね。
お勉強中の人は頑張りましょう。

ここまでは既にわかっていたこと。
で、今日気づいたのは、
人は、
聞いている音を再現しているつもりでも再現できていないことがある、
ということ。
これは意識できる場合もありますけどね、
自分ではわからない場合もあるんだと今日知ったわけです。

具体的には;
私が発音する「花瓶を」という音が、
オランダ人の生徒には「かびんにょ」もしくは「かびんよ」と聞こえるわけです。
私は気づいていないけれど
(何故なら「かびん・を」と聞こえるような日本語的聴覚に発達してしまったので)、
「かびん」の最後の「n」が「を」に被っているわけです。
しかし彼女ははっきり「かびんにょ」と発音するため
そのまま発音されると日本語的には変なので、
「かびん・を(お)」と言うように指導します。
つまりこれは同じ「かびんにょ」でも
彼女の「かびんにょ」と私の「かびんにょ」は音が違うわけですね。
だから私は一方は「にょ」に聞こえ、
一方は「を(お)」だと思うわけです。
また私が発音する「を(お)」と彼女が発音する「を(お)」には違いがあり、
彼女が聞いた通りに(のつもりで)「かびんを(お)」と発音すると、
私にはちょっと違う音に聞こえるのです(それこそ「にょ」的な)。
そこでちょっと意識的に「お(を)」と言うように指導します。
これで若干「を」が強いものの、
「花瓶を」に聞こえる発音が達成されるわけです。

まー基本的には意味が通じればいいんですけどね。
やはり「かびんにょ」は聞いていてちょっとふざけているかなーと…。

でもやはりいろいろ視点が違うので面白いですね。
私はものを教えるのは決して得意ではないけれど、
日本語を教えるのは細々と続けたいなあ。
今のところは近いうちに全部止めなくちゃいけないけれど。

Google は電子書籍の夢を見るか
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20100505_blade-runner.jpg

電子書籍市場がホットになってきたようです。
もちろんそれは iPad の登場からヒートアップしていましたが、
先日 Google が参入することが報じられ
いよいよ本格的に衆目の的となった感が。
Amazon の Kindle はアメリカでポピュラーらしいですけど、
対応している日本語コンテンツがなかったことから
私としては今ひとつピンと来なかったのが実情
(日本語のPDFは表示可能)。

私自身は iPod(iPad ではなく)に青空文庫のリーダーを入れており、
予想外に出来た暇をつぶす時なんかに利用しています。
そういう意味では便利です。
iPod はいつも持ち歩いてますし
重い本を持ち歩かなくてもいいですからね。
まあバッテリー消費が激しいのですけど
それは青空文庫のせいではなくて iPod のせいかな。

でもね、
多分私の中ではそれ以上にはならない。
つまり電子書籍の位置です。
私という人間が本好きなせいも多分にあるとは思いますが、
やはり紙の本と電子書籍は違うと思うのです。
でもどうなんでしょう。
Kindle のように本に特化したツールを使えば
紙の本と大差ないのかもしれません。
目が疲れないようにバックライトを使わないなど
工夫されていますからね。
だから
「今後紙の本に置き変わることはない」
とは断言できませんね。
「紙の本がなくなることは(当分、少なくとも私が生きている間は)ない」
とは言ってもいいですけど。

それでもやはり、
あのパラパラめくる感じ、
あれは大切な気がするなー。
初めて読む本はもちろん頭から読みますが、
時々「あの本のあの部分のフレーズを確認したい!」という欲求に駆られて
本の中を探しまくることがあるので。
この行為は検索機能でもできない。

現時点では iPad にも Kindle にも興味がありませんが、
本好きとしてはこの市場に注目していきたいです。

SNSと個人情報の危険な関係
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20100322_SNS.jpg

かつて「身元調査アプリで探偵要らず」というタイトルで
メアドからあらゆる情報を集めてくるソフトを紹介(?)しましたが、
気がついたらこの機能は怖いどころか結構当たり前となりつつありますね。
複数サイトでのIDの共有化が始まってからは
当然の成り行きだったのかもしれません。
斯く言う私も最近 Chrome のエクステンションで
Gmail のメール送信元/先の情報表示機能を導入致しました。
今のところ「おお~っ」ということはありませんけどね。
Chrome だからなあー。

とにかく何がわかるかと言うと、
過去のメッセージのやりとりの他、
そのアドレスから登録している SNS なんかを表示してくれるのです。
今のところ mixi は対応していないような感じですが(しているかもです)。
私なんてまあアクティブかどうかはさておき
一通り手を出しているのでちょっと微妙です。
かつては SNS を使い分けていたのですが、
どうもそういう使い方はできなくなってきましたね。
公開基準を一定にすることを考えないと、
知られたくない人にも不本意に情報を知られてしまうことに。
まあ今のところリア友じゃない人は
mixi にちょっといるだけなので(一人かな?)
問題ないと思いますが。

さらに「怖いかも」と思ったのは。
今日家庭教師先で生徒のお母さんから
「ブログを発見した」と言われたのですね。
それはまあいいのですが、
その発見過程がちょっと謎。
Facebook の彼女のページに私が表示されたらしいのですけど、
何故彼女のページに表示されたのかがはっきりしないのです。
メールのコンタクトでで検索をしたのかと思ったのですが
そんなことはしていないらしい。
共通の友人がいるのかと思ったら、
いない。
最後の可能性として考えられるのは、
私がかつてメールのコンタクトで友人検索をした時にヒットした情報を
Facebook がキープしているということ。
まずそれ自体が嫌なのですが、
もしそうだとしたらその情報を相手の方にも公開しているのがさらに嫌。
友達リクエストしなかった意味ないじゃん!
たまたま今回は見つかっても構わない人だったので良かったのですが
(ヒットした時はそんなに親しくないという理由でリクエストしなかった)、
これがちょっと避けたい人だったら、
と思うと、
怖くないですか?

まあ何かの間違いで彼女がメアドで友達探しをしたのだと思いたいです。

因みに最近は自分のブログやらを twitter を中心にリンクさせてますが、
唯一 mixi だけが仲間外れな感じです。
上の画像が私の関係図。
赤背景が更新するサイト。
Facebook も放置されそうな位置なのですが、
Facebook はメール通知でサイトに訪れるように促すので
mixi ほど放置状態になりませんね。
mixi にはニュースレターはありますが、
個人に特化している感じが Facebook より少ないので
あまりログインをする気にならないんです。

他にもうちょっといろいろ情報を公開しているサイトや
完全放置の SNS があるのですが、
内緒です。

とんでもありません
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20091010_neko.jpg
photo by Maccio Capatonda - flickr

最近は変わったようですが、
と、前置きし。

「とんでもない」は一つの形容詞で、
「とんでも」の否定ではない、
ということを皆さん知っていましたか?
「せつない」「やるせない」
と同じタイプの言葉なのです。
つまり、
タイトルのような「とんでもありません」という使い方は間違い、
ということです。
「せつありません」「やるせありません」とは言いませんよね?
もし丁寧言いたいならば、
「とんでもないことです」
が正解。

因みにこれは檀ふみのエッセイ「ありがとうございません」で知った事実。

さらに因みに「とんでもない」の「ない」の語源は否定の「ない」です。
ややこしい話ですが。

なんなんですが、
世の中には「文化審議会」という組織が存在していて
(文化審議会とは。
文部科学省設置法第29条及び文化審議会令に基づき、文部科学大臣及び文化庁長官の諮問に応じて、国語・著作権及び隣接権・文化財・文化功労者の選定及び文化・芸術全般に関する基本的な事項を調査審議すること等を目的として2001年(平成13年)1月6日に旧国語審議会・著作権審議会・文化財保護審議会・文化功労者選考審査会を統合し、設置された審議会
だそうです。 - wikipedia)、
どうもこの人たちが「『とんでもありません』でもいいじゃないですか」、
と言ったらしいのですよ。
平成19年に
(平成19年っていつですか。
 オランダにいると年号を忘れてしまうのですが)。
さらに。
辞書の中には
「とんでもないことでございます」と
「とんでもございません」の
使い方の違いを載せているものもあるとか
(但し、正しい使い方としてではなく、
 一般的に使われている使用法の違いとして)。

言葉というものは変化するものです。
わかっています。
わかってはいるのですが、
なんかこういう感じで
誤った使用法が既成事実になり
一般の自覚がないまま正しい言葉になっているというのは
ちょっと寂しいです。
口語はどんなに崩れても構いませんが、
言葉を真剣に扱う場では
もうちょっと本来の言葉を大切にして欲しいなあ-。

なんて言うからうるさいおばさん的扱いをされるんだろうな。

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